スズキは軽自動車とバイクで世界的に有名で、インドなどの発展途上国を中心に大きなシェアを誇っています。海外の生産拠点はほとんどが発展途上国ですが、ヨーロッパの工場はハンガリーのみということが注目されます。
スズキはなぜハンガリーを生産拠点として選んだのでしょうか?

エステルゴム市にあるマジャールスズキの工場。出典:Suzuki.hu


日本企業のハンガリーへの投資環境について

1980年代後半におけるソ連の弱体化および中東欧諸国における民主化の流れの中、ハンガリーは1989年、社会主義体制を廃止し、政治・経済を自由化しました。特に経済の自由化に伴い、ハンガリーという未開拓の市場に多くの外資系企業(主にアメリカ、西欧)が進出しはじめました。

ハンガリーは社会主義国家だった時、100%外国資本の企業は認められておらず、外資の資本比率は最大49%に制限されていました。現在のように誰でも簡単に企業を設立できる環境ではありませんでした。もちろん、スズキ社との交渉も極秘で行われました。

しかし、ハンガリーは社会主義圏ではあったものの、ソ連など他の社会主義国家とは異なり、1970年代から生活面ではある程度の自由がありました。政治的な自由はなかった反面、政府は国民を満足させるために福祉政策に力を入れていました。ただ、実施された福祉政策に見合った経済力がなかったため1973年以降、外国の銀行から多額のローンをすることになりました。外国の銀行のほとんどが日本の銀行でした。1980年代半ばにはハンガリーの国債の半分を日本の銀行が持っていた時期もありました。ハンガリーにとって日本は社会主義時代から重要なパートナーだったことがこの事実から窺えます。

日本企業は欧米の企業と比べ、ビジネスの決断するまでに大変時間がかかると言われています。また、リスク回避の意識も高いです。「そこまで調べるか」というまで情報を収集し、それぞれの担当のレベルで会議を重ね、慎重に決断までもっていくのが一般的です。特にリスクが伴う投資になる場合はなおさらです。

ではなぜ、スズキは自由化をして間もないハンガリーに投資を決めて、法人設立からたった1年で生産を開始できたのでしょうか。そもそもなぜハンガリーが選ばれたのでしょうか。


マジャールスズキの設立背景について

日本企業の中ではスズキがハンガリー進出の象徴的な存在でした。スズキは1991年にハンガリー法人「マジャールスズキ社」(「ハンガリースズキ」という意味)を設立。ブダペストから北西40kmのドナウ川沿いの町エステルゴム(Esztergom)で工場の建設に取り掛かりました。建設は順調に進み、生産は翌1992年に開始しました。マジャール・スズキ社はオペル社(当時GMグループ傘下)と並び、ハンガリー初の自動車製造企業となりました。

実は、ハンガリー政府とスズキの交渉は1985年ごろから始まっていたことがあります。スズキが初めてハンガリーに関心を示したのは1984年12月です。元々スズキに声をかけたのはハンガリーではなく、ブルガリアでした。ブルガリア政府はスズキの製造工場を誘致しようとしましたが、スズキはブルガリアでの可能性を精査した結果、ハンガリーの方が投資先として魅力的だと判断したのです。

マジャールスズキ1992年8月28日
マジャールスズキで最初に生産された車両「スイフト」の祝賀会。(1992年8月28日)
出典:InfoEsztergom.hu


マジャールスズキはハンガリー初の日系企業であったのか?

ハンガリーでの自動車工場の設立を検討した日本企業は、スズキが初めてだった訳ではありません。ハンガリー政府は1967年にトヨタと交渉したという噂がありました。1969年には日産自動車の代表団がハンガリーを視察し、西部のジェール市の400ヘクタールの土地に工場設立を検討していました。日産の計画はソ連からの圧力で中止になりました。1994年、日産が検討した土地にアウディが工場を建設しました。

このように長い経済交流の末、自由化直後のハンガリーで日本企業による大型投資、即ちスズキ工場の設立が実現したのです。「やっと」という感覚でした。1985年にスタートし、最終的に話がまとまるまで6年ほどかかりました。その経過をみると、ハンガリーの経済自由化1989年、マジャールスズキ社設立1991年、生産開始1992年というタイムラインも納得していただけるでしょう。


スズキがハンガリーを選んだ理由について

スズキがハンガリーに進出した理由は何だったのでしょうか。「ハンガリー政府の視点」と「スズキ社の視点」で考察しましょう。

まず、「ハンガリー政府の視点」からすると以下の誘致理由が考えられます。

  1. 外国資本の流入によって、自由化後壊滅的な状態にあったハンガリー経済を盛り上げること。
  2. ハンガリーで乗用車を製造する産業を興せること。
  3. 工場の設立で雇用を創出できること。エステルゴム市周辺は元々鉱山地帯で、鉱業の衰退で失業率が高くなっていました。

一方、スズキはなぜハンガリーを進出先として選んだのでしょうか。

1. ハンガリーや旧社会主義諸国の市場性を重視したこと。

スズキは安価で性能が高い車で有名で、経済的にあまり発展していないハンガリーや旧社会主義諸国はスズキにとって有望な市場に見えたでしょう。実際、スズキ工場稼働当初はハンガリーでの国内販売がほとんどでした。

2. 人材が豊富なこと。

ハンガリーは社会主義時代に高水準の教育制度を維持。特に製造業に特化した技術を持った人材が多くいました。社会主義時代には乗用車を生産していませんでしたが、ハンガリー製のバス「イカルス」は社会主義諸国や発展途上国でよく売れていました。バス製造で経験を積んできた熟練労働者がハンガリーに大勢おり、その人材を乗用車製造工場で採用できる見込みがありました。

3. サプライヤーが見つかる可能性があること。

上述の通り、ハンガリーはバスを製造していました。さらに、ソ連から乗用車を輸入する代わりに、1967年からかなりの種類の自動車部品をソ連の自動車産業に提供してきたので、車の部品製造会社が多くありました。最初からスズキの厳しい基準に適合するハンガリーの会社は決して多くありませんでしたが、その数はだんだんと増えていきました。

4. スズキは工場建設に関して好条件で融資を受けられたこと。

建設費用163億フォリントに対し、スズキは110億フォリントのローンを組み、そのうち91億フォリントを国際協力銀行が、11億フォリントを世界銀行が融資しました。しかも国際協力銀行の91億フォリントのローンをハンガリー中央銀行が担保しました。当時、この金額は非常に高いとの認識だったので、国会の承認が必要でした。

5. ハンガリーに投資した日系企業の先例があること。

日本企業がハンガリーに初めて出資したのは1979年です。ハンガリーの中欧国際銀行(Central European International Bank)の設立者に日本の太陽神戸銀行と長期信用銀行が加わっていました。製造業では1984、古河電工とハンガリー企業Pannonplastによる合弁会社が初め設立されました。これらの先例はハンガリーが安全だという印象をスズキに与えたのでしょう。

6. 西への拡大の可能性があること。

当初、スズキの進出理由は、旧社会主義諸国に安い車を提供することでした。しかし、ハンガリーの立地条件は西側諸国も視野に入るのでそれも重大要素だったと考えられます。


マジャールスズキの今後は?

スズキはハンガリーでの生産を始めてから、ハンガリー市場で絶大なシェアを有しています。

最も登録車両台数が多かったのは2003年。39,443台のスズキ車がハンガリーで新規登録されました。2009年~2015年は登録台数が減りましたが、新車ビターラのハンガリー生産が始まったのをきっかけに登録台は回復し出しました。その結果、2016~2022年、スズキブランドは7年連続ハンガリーでマーケットリーダーの座についています。

マジャールスズキの会社沿革。出典:Suzuki.hu

EUにおける自動車排気ガス規制、EV化の流れ等によって、今後EUの自動車市場は大きく変化するとされています。特にハンガリーは各自動車製造会社がEV生産拠点を持ち、EV用バッテリーメーカー大手各社も進出を果たしています。目下、スズキのEV車販売は未定ですが、2023年に総額93億フォリント(約38億円)の新規投資を発表する等ハンガリーで更なる拡大を目指す姿勢を取っています。


出典


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